「僕が小学生の頃、コンピューターって言葉あったかなぁ?」
そんなことを、ふと、思った。
コンピューター
僕がこどもの頃、この単語を使う大人はまだいなかった。
コンピューターが一般的になったのは、いつ頃からだろうか?
いまやすっかり仕事の相棒となったコンピューターとの関わりについて、記憶をたどる。
記憶が確かならば、出会いはタイトーの「スペースインベーダー」だったと思う。僕が小学生のころに大ブームとなったアーケード専用ゲームで、ゲームセンターや喫茶店のような場所に行かないと遊べないものだった。それをいつも遠目に見ていた僕。
「ファミコン」の呼び名で親しまれるファミリーコンピュータが任天堂から発売されたのは、中学生の時だ。それまでゲームセンターでしか遊べなかったゲームを家のテレビで遊べることに衝撃を受けた。
高校にあがると、選択科目で「情報処理」の授業があった。
選択した理由は完全な興味本位。
適性があったわけでも何でもなかった。
教科書に載っている数行のプログラミングコードを、そのまま打ち込む。
もちろん、初めてなので、意味もろくに解らない。
恐る恐る、プログラムを実行する。
画面上を右から左へ、点が動いていった。
僕が書いた初めてのプログラムは、そんな小さな、何の役にも立たないものだった。
けれど「僕が書いた通りに動いている!」という体験は、とてもエキサイティングなものだった。いままで「与えられるもの」だったコンピュータのソフトを創り出している。誰かが決めた通りにしか使えないものだったコンピューターを、思い通りに動かせる。
まるで、魔法のようだ。
これが、僕の初めてのプログラミング体験だった。
その時の興奮を、いまも時々思い出す。
以来、30年、コンピューターの仕事に魅了され続けている。
僕は、今の社会にあるさまざまな問題を解決するためにプログラムを創っている。
公共、医療、美容、小売業から画像解析、人工知能までさまざまなことをやっている。
未来を生きるこどもたちのためにも、何かできることはないか?
その思いから、この教室を運営するようになった。
ITの知識やプログラミングの考え方は「これからの時代に必要だよね」
というのも、もちろん、ごもっともな理由ではある。
けれど、もっとシンプルで、力強い理由があると、僕は思っている。
考え、創り、組み立て、失敗しても、諦めず、原因を探り、また考える。
そして最後には、自分の考えがカタチになり、動き出す。
プログラムは機械に仕事をさせるためのものだけれど、
プログラミングをすることは、とても創造的で、人間的な仕事だと僕は思っている。
けしてプログラミングの答はひとつではない、100人いれば100通りのプログラミングがあるってことを知ってほしい。
この一連の体験は、これからの「モノ創りの喜び」の原体験となるのではないか?
単純労働を人工知能や機械が代わりにやってしまう時代がくる。
そんな時代に輝くのは、逆に、人間らしさを武器に活躍するクリエイティブな知性だ。
考え、動き、いままでになかったものを創り出す。
そんな人がたくさんいる未来を、僕も見てみたい。
インベーダーゲーム、ファミコン、パソコン、携帯電話、スマートフォン。
コンピュータは進化を続け、いまや、全ての人がコンピューターを利用している。
家にはパソコンがあり、ポケットにはいつもスマートフォンがある。
小学生でも携帯を持っている時代だ。
あまりに身近になりすぎて、それがコンピューターであることを忘れてしまうことがある。
それほどに、コンピューターは生活に密着している。
パソコンも、スマホも、タブレットも、プログラムなしではただの箱や板でしかない。
映像も映らないし、音も出ない。
YoutubeのアプリがなければYoutubeも見られないのだ。
スマートフォンのアプリも、全部、誰かが創ったプログラムだ。
それがコンピューターの中に入っていて、映像を表示し、音楽を鳴らし、人間の命令通りに機械を動かしている。
そんなすごいプログラムを、自分でも創れるのだと多くの人に知ってもらいたい。
特に子どもたちには、モノをつくる楽しさを知ってもらいたい。
プログラミングすることによって、考え、学ぶ楽しさを知ってもらいたい。
知ることは、きっと子どもたちの将来を広げます。
これは、「プログラムを作る人」になるためだけの教室ではありません。
自分で考え、行動し、成し遂げ、喜びを感じる。
そんな子どもたちの未来を創る時間です。